「報ステ」炎上CMが語っているもの

 「どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかって今、スローガン的に掲げてる時点で、何それ、時代遅れって感じ」──。これらの台詞がやり玉に挙げられ、3月22日からネット上に流れたテレビ朝日報道ステーション」のWebCMが2日後に公開中止となった。ジェンダーに関する認識の問題については既に多くの識者が指摘しているので、本稿ではそれ以外の部分で違和感を覚えた点について考察する。このCMは何を語っていたのか。

 

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報道ステーション」CM30秒バージョンより

  CMには15秒版と30秒版があった。30秒版では以下の通り、女性が終始一本調子の明るい口調で語りかける。場面ごとのカットは(C)で示した。

 

ただいま。なんかリモートに慣れちゃってたらさ、ひさびさに会社に行ったら、ちょっと変な感じしちゃった。(C)会社の先輩、産休あけて赤ちゃん連れてきてたんだけど、もうすっごいかわいくって。(C)どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかって今、スローガン的に掲げてる時点で、何それ、時代遅れって感じ。(C)化粧水買っちゃったの。もうすっごいいいやつ。(C)それにしてもちょっと消費税高くなったよね。でも国の借金って減ってないよね? あ、9時54分!ちょっとニュース見ていい? 

(「こいつ報ステみてるな」のテロップ挿入)

 

 炎上の主因は、日本の現実が「ジェンダー平等」には程遠いにもかかわらず、あたかも達成されているかのように「時代遅れ」と揶揄している点だった。「産休あけて」と付言していることから、職場に赤ちゃんを連れてきた「先輩」が女性=母親であるのは間違いない。つまり、父親(「先輩」の男性パートナー)は産休後の育児からは手を引いていることがここでは暗示されており、ジェンダー平等が実現した前提で「時代遅れ」と言ったという解釈は成り立たない。むしろCM制作上の意図として、前置き付きで拒絶しているとみるべきだろう。

 

 加えて、私にはこの女性の言葉の使い方が引っ掛かった。

 

 「どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかって今、スローガン的に掲げてる時点で」という箇所の、「スローガン的に掲げてる時点で」という言い回しを、ここで演じられている女性は普段から日常会話で口にしているのだろうか? 「スローガン的に」「掲げてる時点で」──こうした硬い手触りの言葉が、会話の流れの中で自然に出てくるのかどうか。

 

 便宜的に、このCMをあるストーリーの一断面と考えてみよう。彼女が語りかけている相手は相当に親しい間柄だと分かる。ただ、親しげな中にも家族や同性の友人というより異性を相手にしているような構え方が個人的には感じられたので、ここではボーイフレンドないし恋人だとしておく。

 

 彼女は「ただいま」と告げる前から、「『ジェンダー平等』とかって今、スローガン的に掲げてる時点で」という言葉を、画面の向こう側の相手=彼に向けて伝えるべく、あらかじめ頭の中に仕込んでいたのではないだろうか。でなければ、こうした不自然に生硬な言い回しが口からすらすら出るとは考えにくい。

 

 つまり、これは本当に彼女自身の言葉なのかどうかということだ。

 

 続いて話題が化粧水に切り替わった後、彼女は消費税が高くなったことと、国の借金が減っていないことを天秤にかける。「国の借金を減らすために消費増税は受忍せざるを得ないのか?」という疑問を、相手=彼に投げ掛けているようにも見える。個人の財布に直接響く消費増税以上に、雲居の彼方ともいうべき国の借金の帰趨を心配するようになったとすれば、それはどんな経緯からだったのだろう。

 

 恋愛ストーリーの設定を当てはめるならこの場面は、これまでフィルターを介さずに意思疎通できていた二人の間に、得体の知れぬ何者かが無遠慮に介入し始めたことを暗示しているのかもしれない。その「何者か」は、「スローガン的に」などの生硬な言葉を用いてジェンダー平等論を揶揄したり、消費増税による財布の痛手よりも国の借金償還に配慮を求めたりする、一般的な個人から幾らか浮いた価値観を持っている。

 

 その「何者か」は人間とは限らない。勤務先で日常的に、無視できない強さと響きで飛び交っている言葉の数々なのかもしれない。生身の人間であれ力を持った一群の言葉であれ、彼女はその影響下に入りつつある。彼氏が複雑な気分で見守っているのだとしても、そんな彼女の変化はむしろ喜ばしいことだというところにCMの視点は置かれているようだ。

 

 二人の会話は「ニュース見ていい?」の言葉で終わる。彼女が「あ、9時54分!」と口にしたからといって、その後の時間をTVの前で過ごしている保証はない。彼は「こいつ報ステみてるな」と自分を納得させるわけだが、このシーンから数カ月後、自分のおめでたさを後悔する羽目にならないかどうか……と、妄想はこれぐらいにしておこう。

 

 ここで本件で焦点となっていた問題に戻る。このCMの言葉を通じて強く感じたのは、社会人の形成にまつわる一つの定形化された「物語の雛形」がこの国には古くから存在し、今も命脈を保っているということだった。この物語は、必要とあらば恋人同士の間に割り込んで同調することを要求するのだ。その同調過程において、女性であれば組織の中で「わきまえる」ことを求められ、最終的には現実から目を背けてでも「ジェンダー平等とかスローガン的に掲げるのは時代遅れ」と言ってのけるようになる。単なるCMの仮構で片付けられない現実例がいくらでもあるからこそ、これだけ激しい批判を浴びたのではないのか。

 

 それでも、アクロバット的レベルで善意に解釈することは可能かどうか。「本CMにはジェンダー平等への要請を揶揄する意図はさらさらなく、こうした無神経な発言への二重三重に屈折したアイロニーだった」──。残念ながら、どこを切り取ってもそんな見方はできない。CM内の言葉を字句通りのメッセージ以外で受け取るのは不可能だし、むしろ選択的夫婦別姓や女性の社会進出に消極的な政権与党に秋波を送っていると見るのが自然だろう。

 

 テレビ朝日は炎上したCMを取り下げるに際して、以下のメッセージを発した。

 

 

 「意図をきちんと伝えられなかった」との見解を前面に出し、意図そのものの妥当性に踏み込まれることは固く拒んでいる。そして「不快な思いをする」視聴者もあり得たことに配慮が足りなかったとの趣旨を述べている。いったい何を怖れて、これほど高い壁の内側に閉じこもっているのだろうか。