一人の新人記者を守らなくてはならない理由

 旭川医大で学長選考会議を取材中の北海道新聞(道新)記者が大学職員に常人逮捕された事件について、道新は7月7日朝刊に社内調査結果を掲載した。その内容は、時系列を追った当事者間のやり取りにも曖昧な点や矛盾が目立ち、まるで責任の所在を関係者全体に広げて希釈しようとしているかのようだ。少なくとも、入社間もない新人記者を守ろうとする姿勢は微塵も認められなかった。社内調査と称して道新は何を守ろうとしていたのか。

 

 調査結果の概要は、下の朝日記事の後半部分で参照できる。

digital.asahi.com

 

▽重なった不運

 

 調査結果によると、事件当日(6月22日)の午後3時50分ごろ、旭川医大は学長選考会議について午後6時から取材に応じることを報道各社にFAXで連絡し、併せて構内の立ち入り禁止措置についても通知した。10分後の同4時、道新旭川支社報道部の担当キャップは当該の新人女性記者に対し「校舎内に入って(会議の)出席者が通る可能性のある2階付近の廊下で待つよう指示」した。

 

 会議自体は同3時から始まっており、FAXが送られてきた時点で各社はとっくに取材態勢に入っていたであろう。社内調査に対してこのキャップは、通知文にあった「入構禁止」の部分を見落としていたとする一方、「これまでも入構禁止になっていたが、慣例的に自由に立ち入って取材していたため、入らせた」と釈明している。

 

 これは「見落とした」というより、「初めから目に入っていなかった」≒「事実上の無視」に等しいのではないか。つまり入構禁止措置は22日の以前から続いていたにもかかわらず、それを無視して構内に入ることが各社を通じて常態化しており、道新キャップも「またか」程度の認識しかなかったのだと考えられる。

 

 調査結果はまた、4日前の18日に行われた選考会議の際に「報道各社が旭医大の取材対応に不信感を抱き、会場の4階に行って事務局とトラブルになり、旭医大が許可なく校舎内に立ち入らないよう報道陣に強く抗議」したことを伝えている。しかし、このトラブルが具体的にどのようなものだったかは明らかにしていない。大学側の抗議が「違反者は常人逮捕も辞さない」といった警告も含むものだったのかどうか。いずれにせよ、「抗議があった」という記述だけでは、18日の現場に居合わせた記者からの「情報共有」さえあれば事件を回避できたと信じるわけにもいかない。

 

 何より、学長解任問題が大詰めを迎えた22日のタイミングでは、4日前の抗議などに頓着せず各社が構内に押し寄せる可能性は十分あり得ただろう。もし、大学側の注文を真に受けて警戒を怠り、重大ニュースの現場に自社だけいなかったらどうなるか。道内地方紙の盟主たる道新が全国ニュースでまさかの特落ち? 考えるだに身の毛がよだつ話であっただろう。

 

 加えて当日朝には、読売新聞が「独自」と称して選考会議による学長解任申し立ての前打ち報道を行っている※。内容的にはほとんど書き得とはいえ、札幌の本社から「抜かれてるぞ」などと難詰されたりはしなかったか。とにかくこれらの諸事情によって、事件直前の道新旭川報道部が殺伐とした空気に支配されていたことは想像に難くない。

 

www.yomiuri.co.jp

 

 札幌本社→旭川報道部→現場という「パワハラの連鎖」が実際にあったかどうかはさておき、午後6時の取材対応を大人しく待つという選択肢は、こんな状況下で消えていったと思われる。以下、私の想像である。

 

 新人記者が最初に待機を命じられた「2階付近の廊下」に赴くと、そこに他社の姿はなく、彼女はその旨をキャップないし別の先輩記者に報告する。報告を受けた先輩記者の脳裏には「すると別の場所に集まっているのか?」との疑いがよぎったかもしれない。さらに不吉な事態として、4階会議室の出入り口で道新以外の各社にペラペラ喋る大学関係者の姿も浮かんだのかどうか。午後4時25分、彼女は「誰か」の指示に従い4階へ。

 

 4階会議室周辺にも同業他社の姿はなかった。彼女はドア越しに「壁耳」を試みたがうまく聞き取れず、やむなくスマホの録音ボタンを押してドアのすき間に当てた……。

 

 もし、その場にいた記者が複数だったならば常人逮捕はあり得ず、せいぜい18日のトラブルが再現された程度で終わっただろう。しかし不運にも彼女は一人であり、記者としての毅然とした態度を取るにはあまりに経験不足だった。入社3カ月の社員試用では、血税で賄われた国有財産(普通財産)である国立大学法人の校舎内で不透明な秘密会合が行われていることについても、記者ならではの問題意識を要求するのは酷な話であろう。

 

 結局、記者は現場に警察官が到着するまで自らの社名などを明かさないままだった。事前の指導が不十分だったどころの話ではない。「校舎内で身分を聞かれても、はぐらかすように」キャップや別の記者に言われていたという点に至っては、取材者の立場を自ら放棄し「不審者でございます」と言わせるようなもので、まったく理解しがたい。

 

 いずれにせよ6月22日午後の旭川医大構内には、不注意に勇み足をした者が引っ掛かるようなトラップが仕掛けられていた。そこへさらに幾つもの悪条件が重なり、事件は起きたと言える。

 

 逮捕した大学職員に関しても幾つか分からない点が残る。▽取り押さえた(逮捕した)時点で彼女を取材記者と思わず、単なる「学外者」と見なしていたのか▽取り押さえた当初から「常人逮捕」とする意思があったのか▽無許可で立ち入った記者には刑事事件化も辞さない方針を大学組織として決めていたのか──などだが、今後明らかになることを期待するしかない。

 

▽今後のあるべき処遇と一つの提案

 

 寡聞にして知らないだけなのか、逮捕時点で試用期間中だった当人の処遇に関する続報を、私は今のところ目にしていない。本来ならそろそろ社員として本採用される時期だと思うが、道新はどう対処するつもりなのか。客観的に見て、本件を理由に本採用が見送られるなどということがあり得るはずはないと思う。「捜査継続中」であろうとなかろうと、社内調査結果を見る限りでも責任は全面的に上司が負うべきで、彼女が責められるいわれはない。改めて念を押すのもやりきれないが、これは本人が「もうこの仕事は懲り懲り」と感じているか否かとはまったくの別問題だ。

 

 それでも、無慈悲かつ下卑た疑念が抗いがたく湧き起ってくる。個人的には、今回の事件がこの新人記者にとって貴重な経験となり、成長の糧になることを願わずにはいられないのだが、果たしてその保証はあるのか

 

 社が彼女を正式採用し、他の新入社員と差別も区別もすることなく配属先を決めたとする。キャリアを積み重ねていくうちに、いつしか本件も「武勇伝」になっているかもしれない。今後も記者の仕事を続けるにせよ、他業種に転身するにせよ、そうあってくれることが望ましい。だが問題は、この国の社会にそれを許すだけの〝懐の広さ〟を期待できるかどうかだ。長期的には、一定のシステムに従う不可視の歯車が重なり合い、「被逮捕者」=「前科者」という通俗観念が真綿で首を締めるように個人を追い詰めていく事例を、私たちは数多く見てきていなかったか。

 

 「調査結果」は、そうした疑念を否応なしに掻き立てる。編集局長が紙面でどれだけ「知る権利」の御旗を振りかざそうと、記事内容を彩る執拗なまでのごまかしと欺瞞が、そのまま従業員に降りかかるおそれはないのか。一般的に言って会社がその気になれば、社内に居づらくなるよう特定の従業員を追い詰めていくのはたやすい。そして人事当局には、労使間の火種となることを避けつつ目的を達成するための、長年にわたるノウハウの蓄積がある。労組がこの種の問題を賃金や福利厚生に収まらない「個人の範疇」として忌避するのであれば、彼ら・彼女らに逃げ場はなくなる。

 

 道新の調査結果を受け、新聞労連は12日に声明を発表した。

 

 

  「大学の過剰な取材規制」を問題視した点は評価に値するが、それ以上に当事者となった記者の保護を考える必要がある。今後、もし本件の新人記者が社内外で不利益な扱いを受けるようであれば、労連を挙げて彼女を守る行動を起こすべきだ。22歳という年齢で受けた精神的外傷も考慮に入れ、メディア間の人事交流の枠組みを用い、他の地方紙が研修を兼ねて受け入れるのも一つの方法だろう。それもなるべく遠方、例えば気候風土が正反対の沖縄あたりで、旭川での記憶をいったんリセットしつつ自分なりの問題意識を探ってみるのも良かろう。

 

 今回の事件を放置すれば業界の利益を損なうだけでは済まず、国民全体にとっての禍ともなりかねないことを、報道に携わる人々は肝に銘ずるべきだと思う。

 

 

  ※ こういうケースで全国紙は当局にねじ込まれると「自分も驚いている。東京(本社)が文科省から聞いて書いたのでは」などという言い抜けができる。