今年の夏も、昭和の戦争を振り返る「年中行事」は盛んであった。戦後81年ともなれば、やはりテーマや切り口の目新しい言説が出てくるはずもないのだろうか。うんざりするほど既視感のある「特攻での戦死は無駄死にだったか否か?」の論争も、不毛ななりに盛り上がっていた。
ただ、昭和の特攻戦術に関しては常々感じてきたことがある。大戦末期の日本において、「特攻=自爆攻撃」がなぜ戦術として採用されるに至ったのか。その理由と経緯について、根本から詳細かつ客観的に分析されたことがあったのか。
こうした分析を本稿だけで完結できるとは夢にも思わないが、あえて試みるならば、まず前提となる「戦争」の定義から始める必要があると考える。
▽大前提:「犠牲者」は結果であり必要条件ではない
戦争とは、対立する複数の国家もしくは国内の対立勢力同士が互いの権益や主張について合意点を見いだせず、暴力で解決を図る事象と一般的には理解されている。ただし、紛争が暴力の行使に発展して初めて「戦争」とされるとしても、敵国・敵勢力の戦闘員を殺傷すること自体が目的なわけではない。それらはあくまでも手段に過ぎない。
理屈上は物的損害しか発生せず死傷者ゼロで終結する戦争も成立し得る。しかし過去の歴史を通じてそんな戦争はあったためしがなく、特に20世紀以降は膨大な戦没者を出すことが常だったから、死傷者のない戦争など机上の空論だと誰もが承知している。それでも死傷者の発生は戦闘に伴う「派生事案」であって、戦争を定義する上での必要条件ではない。
軍人が戦争目的の達成に向け、自らの威力によって敵勢力を駆逐し陸地と空間の制圧を図る際、多くの場合は死傷者が発生する。作戦行動としては「敵に対してどれほど多くの損害を与え、継戦能力を失わせたか」が重要な評価指標となる。一方で、味方の損害を極小化すれば戦力上敵より優位に立つことができ、経済合理性と目的の早期達成に適うと「通常は」考えられる。
以上を前提として、自爆攻撃について考える。
1944年に始まった航空機特攻は志願による参加の建前を取った。志願ではなく命令にしてしまうと、まず通常の軍事行動との間で避けがたく矛盾が生じる。それは、軍隊として投入した戦力を回収し、再び作戦に用いるという前提に反するためばかりではないし、散々糾弾されてきた「軍上層部の責任逃れ」だけの話でもない。
もちろん「組織された志願制」こそが、日本の特攻戦術における欺瞞性の中核であるのは確かだ。戦没者を英霊と呼んで賛美し、美辞麗句で飾り立てることは、志願者に責任を負わせて上層部と組織のそれを有耶無耶にする構造と表裏を成す。戦没者の周囲に躍る空虚な称賛の数々は、生き残った者たちが後ろめたさから放つ雑音に過ぎない上に、知られざる死者の
▽専門性の排除と「聖性」による支配
最初から職業として軍人を選択した場合であれ、徴兵された兵卒の場合であれ、国家はどちらに対しても給料を支払う。もちろん職業意識の濃淡は異なるが、そうあることによって彼らは軍人としての社会的地位を与えられる。他の職業・学業から一時的に徴兵もしくは徴集されている場合でも、望むか否かに関係なく、軍人が時限付きで彼らの肩書となる。しかし、ほとんど拒否できない状況下で自爆攻撃への志願を求められた時、この地位に予想もしなかった終わりが告げられる。
あらゆる職業の中で、戦時下に戦闘行為に従事している軍人が間違いなく最高度の危険に晒されているとしても、無傷で戦争の終結を迎えることは不可能ではない。そもそも彼らの仕事は、戦争が自らの陣営の勝利に終わるよう努力することだ。この努力が結実すれば、無傷で終戦を迎えた後、任意で軍籍を退くか定年まで勤務を続けられる可能性も高くなるだろう。
こう考えていけば、本人もしくは周囲が戦死・戦傷をどれほど名誉と見做そうとも、それらは職務に伴うイレギュラーな偶然の域を出ない。戦争において軍人が目標とするのは自国・自陣営の勝利であって、自分の個人的名誉ではない。この点は、特に生え抜きの職業軍人にとっては社会的地位の担保となる。
ところが、「特攻隊員に志願せよ」と半ば強要されてこれを受諾した時、偶然であったはずの戦死が必然と化し、戦闘の派生事案であったはずが「戦争の必要条件」とみなされ最優先事項に格上げされる。同時に、突如輝きを増した聖性の
そして彼らは戦闘に従事する公職者の地位から、自ら志した死によって目的達成を目指す「聖職者」へと強引に転換させられる。命令による任務ではなく志願なのだから、一種の殉教とも言える。しかも死後は軍神として靖国神社に祀られるという保証まで付いている。
特攻への志願を求められて、このことに違和感を抱かなかった職業軍人は皆無だったろうか? 特攻パイロットの多くが学徒出陣組の中から選ばれたのは、そうした事情があったためかもしれない。
具体的な作戦行動は、爆弾や魚雷を敵艦に命中させたり空中戦で敵機を撃墜したりする高度な専門的技能がもはや無用とされ※、自分の操縦する爆弾付きの機体を敵艦船まで導くというレベルにまで〝単純化〟する。これは何を意味するのか。熟練操縦士をそれまでの戦闘で費消した末、訓練不足の人員を効率的に利用する一点に戦術が特化したのは、大日本帝国における「聖戦」の然るべき結末だったとも言えるのだ。
軍人は、戦争の専門職としてその職能を発揮する機会と給料を得る。しかし特攻を無理強いされれば、いかにそれを名誉として周囲が喧伝しようとも、生存の中断とともに一方的に職位を奪われ、給料の支払いも終わる。そして遺族に支給される恩給がこれに取って代わる。そして軍の組織上何ら意味を持たない「軍神」の美称を、各人の信教などお構いなしに与えられて良しとしなければならない。
▽政治目的となった出撃
断るまでもないが、以上は「平時の視点」からの理屈である。この視点は現在の日本国憲法によって保障されている。
日中衝突から米英蘭との戦争へと拡大していった当時の日本では、もちろん個人の権利は極端に制限され、戦争遂行に関係のない内面的意識は「敵性的」として退けられさえしている。軍人の職務を他の職業と同一基準で論じるなど言語道断と見なされるだろう。
とはいえ、▽志願を強いられた者には「軍組織はお前を必要としていない」という宣告をも意味したこと▽高度な戦闘技能を無用とし、自爆の達成へ単純化された行動様式は、大規模工業生産の発展に伴う労働単純化と類似した特徴を示していること▽国家神道が生身の人間を神社の内奥へと吸い込む経路は一切の迂路をカットして直通となること──等々の異形性を、「危急存亡時のやむを得ざる措置」という理由で看過するのは当を得たことなのか。
大日本帝国は天皇の統治する国であり、陸海軍は天皇の軍隊だった。明治天皇の名で1890年に布告された教育勅語は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉」じることを国民に強要し、さらに昭和に入ると、国体明徴運動などを経て神がかり意識は社会の隅々にまで浸透していった。こうした世上の空気は没論理性の温床となり、理不尽な政治的意図には格好の隠れ蓑となる。
特攻の狙いも、軍と国民の「聖戦遂行」に向けた結束を強化する意義が戦果以上に重視されたのではなかったか。むしろ国を挙げての神がかり状態の下で国民がその悲劇性に酔うようになれば、戦術性よりも政治性の比重が高くなる。だから連合国側の対応力が向上し、具体的戦果が低下しても中断されることはなかった。こうして自爆すること自体が目的化し、「誰の何に対する出撃なのか」の焦点もぼやけていく。
昭和の戦争における特攻は戦後長らく分厚い聖性のベールを纏い、卑俗な価値基準による評価を拒んできた。それは、自爆攻撃に身を投じた悲壮さが「良い時代に生まれた」戦後世代をたやすく沈黙させたからでもあろう。しかしその欺瞞性・非人道性にもかかわらず沈黙した時、私たちは当時の特攻隊員を取り巻いていた「聖なる空気」を、いつの間にか共有させられている。あるいは、私たちの方が無意識のうちにそう望んだのだろうか?
対米英開戦と同時にメディアが「聖戦」と喧伝したのは、戦争遂行のための資源として国民の意識を総動員する狙いがあったからで、宗教性など初めから問題にもならない。にもかかわらず、鬼面人を驚かす怪しげな聖性は国の隅々にまで浸透し、最終的には自爆攻撃が一般的戦術として採用されるに至った。
なぜそうなったか。国家権力に対する国民の恐怖が「聖なる空気」の濃度を際限なく高めていくのは、強権国家特有の構造である。国民を駆り立てる恐怖の技法が絶えず試され競われるのは強権国家に限った話ではないが、これらの国々で特に顕著なのは間違いないだろう。
天皇を主権者とする体制下だったとはいえ、「大正デモクラシー」への反動からお仕着せの聖性が固められるまでにはどんな思惑や意志が働き、どうやって国民を意のままに操るようになったのか。この経過と構造的病巣については繰り返し問い掛けを行い、記憶を新たにする必要がある。当時完成された呪縛は戦後81年を経た現在も効力を失ったわけではない。とりわけ「めちゃくちゃな時代」の観がある昨今、この呪いは往時の力を取り戻しつつあるとも言える。
※ 個人が占有できる高度な職能は、所属組織にとって常に「諸刃の剣」の側面を有する。

















