Scene Changes──そして奈落の底へ

 コロナ禍による緊急事態宣言下、憲法改定のための改憲手続法(国民投票法)の改正が11日、参院本会議で可決、成立した。立憲民主党の要求により、CM規制の強化などについて改正法施行後3年を目途に必要な措置を講ずるとした修正が付則に盛り込まれたが、政権与党による改憲発議に対して抑止力にはなりそうもない(新聞ならば「抑止効果は不透明だ」とでも書くだろうか?)。結局のところ、なし崩し的に実質的な議論は始まり、早晩、政権与党の意向を汲んだ改憲案が両院の憲法審査会に提示されるだろう。

 

 既にこの国の憲法は風前の灯火である。2017年以降明らかになった自公連立政権の腐敗は、森友事件とそれに引き続く公文書改竄、加計問題、「桜を見る会」など空前のレベルであるにもかかわらず、主要な関係者は誰一人として責任を取っていない。今後どのような経緯をたどるにせよ、日本国憲法の改定とは、このように堕落しきった権力だからこそ熱望する、現政権に好都合な国の形、国民の形を実現するための手続きでしかない。それは本来的な憲法とは似て非なる「国民に義務を課す」ための約束ごととして顕現するだろう。

 

 人間としての在り方を根底から覆される事案だというのに、あまりにも国民の危機感は薄い。誰もが「どうせ国民投票で否決される」と高をくくっているのだろうか。

 

 いずれ自民党が出してくる改憲案条文に、自衛隊は必ず明記されることになる。改憲が実現した暁には、自衛隊は同党の「私兵」に等しい存在となる一方、一人一人の自衛官もまた、条文に明記されることで他の国家公務員とは異なる後光を帯びる。これはシビリアンコントロールを揺るがす「新たな統帥権」になるかもしれない。

 

 一方、財界は、日本経済に巨大な軍需が丸ごと上乗せされることを垂涎の思いで待ち受けている。〝戦争をできるようになった〟この国が再び戦火に包まれ焦土と化し、屍の山を築いた後には、新たな需要を伴った広大な「空間」が残る。犠牲者は例のごとくやしろの奥に閉じ込められ、拝観者を招く神格としての再利用が期待されるだろう。そんな未来を躍起になって引き寄せようとするのは、いっさいの危険から免れる特権的な匿名者たちである。

 

 現代における戦争はこのようなものだ。概念的に弄ぶことがいかに危険であるかはすべての国民が認識していなければならないはずなのに、いつの頃からか、こうした側面についての学習は粗雑に扱われるようになった。もちろん、大規模な流血を伴う出来事であるがゆえに、時間をかけて慎重かつ入念に準備は進められてきたと思う。ただし、今後の進め方は多少ぞんざいになるかもしれない。

 

 権力を握った者たちがあらゆる努力を傾け、無限と言っていい物量と最高度の知力、無制限の時間をもって準備を進めるならば、どうやって抗うことができようか?

 

 昨年12月の自民─立憲合意から、事態は大きく動き始めた。

 

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 同日の朝日新聞記事(有料)は、安倍政権から菅政権への移行が一つの転機になったという見方を紹介している。

 

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朝日新聞国民投票法通常国会で『結論得る』 自民と立憲が合意」(2020.12.1)より

下線は井之四花

 

 ここで言っている「審議」とは、国民投票法改正関係にとどまらず、改憲内容自体も含めているのだろう。首相が代わったことで「審議が断りにくくなる」と見做す根拠はまったくもって不明だが、改憲容認姿勢をとる国民民主党が感じる程度には立憲内にそうした空気があったのかもしれない。だとすれば、「改正公職選挙法に関係する2項目(投票人の投票環境整備と投票立会人選任要件緩和)とCM規制の強化などについて、法施行後3年を目途に必要な措置を講ずる」との修正がどれほどの縛りになり得るのか。

 

 むしろ3年間という期限の中で、与野党が合意できるような改憲の中身をじっくり論議していこう──。そんな展開になってもなんら不思議はない。

 

  それにしても、自公政権が望む「国民を縛る」改憲へ巨大な一歩が印されたというのに、この静けさはどうしたことか。かつて安倍政権に対して強硬に改憲反対の論陣を張っていた朝日新聞の、衆院審査会での可決翌日(5月7日)の社説がこれである。

 

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 改正案本体や付則の内容・解説は別稿で書けばよかろうに、半分近い行数を割いている。要するに、社説として述べる言葉を欠いていたのか。「今回の与野党の歩み寄りを、丁寧な議論と幅広い合意形成が何より求められる、憲法論議の原点に立ち返る機会とすべきだ」……

 

 新聞記者にありがちな健忘症にこの筆者も蝕まれているようだ。この数年間、とりわけ安倍政権下で見せつけられてきた数々の醜悪奇怪な事象を、精神の健康を維持するためにすっぱり忘れ去ることを選んだのだろうか? コロナ禍を「ピンチはチャンス」(下村博文自民党政調会長)などと言い放つ輩の下で、どんな「丁寧な議論と幅広い合意形成」が成立し得るというのか? 改正法が成立した6月11日の会見では、加藤勝信官房長官が何を浮かれていたのか、遂に政府の見解として、コロナ禍を「絶好の好機」と述べるに至った。

 

 明らかに国民への挑戦なのだが、菅義偉首相が叱責一つするわけもあるまい。閣僚を弾劾する制度がない以上、こうした増上慢はさらにエスカレートする可能性がある。

 

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 改憲を政権の重要目標と位置付け、国民を絞め上げれば絞め上げるほど実現に近づくと考えている以上、コロナ禍の早期終息はむしろ喜ばしくないのだろう。万事この調子だから、災厄に歯止めをかけるよりも東京五輪パラリンピック強行に固執するのは当然なのだ。

 

 こういう人々を政権に居座らせることを、国民は事前に防がなくてはならなかった。選挙で審判を下す機会は何度もあったのに、彼らはいまだに政権の座にある。ここまで常態化した低投票率下では、今年秋の衆院選での政権交代など望むべくもない。かくも無気力で、状況に流される国民を、現政権にある者たちは辛抱強く育ててきた。そしていよいよ収穫の時期を迎えようとしている。

 

 そして仮に野党結集の成果として政権交代が実現したとしても、恐らく改憲論議は立ち消えにはならない。現野党内の改憲勢力によってむしろ先鋭化することも考えられよう。自民党の12年草案以上に「純度の高い」改憲案が国民投票に掛けられて成立、束の間の下野を経て政権に復帰した自公が収穫をごっそり手にする──。そんな展開をたどっても不思議はない。

 

 コロナ禍の渦中で、シーンは決定的に変わった。いよいよ本格的に奈落の底へ落ちる時が近づいてきたようだ。