「メディア主導」による隠蔽の徹底解明を──「反戦デモ」問題

 いまだ真相の大半が闇の中ではないだろうか。現時点で分かっているのは、防衛省陸上幕僚監部が2020年2月に記者向けに開いた「勉強会」で、配布資料にあった「不適切な」記述を修正の上で再配布したという程度だ。資料には、陸上自衛隊が武力攻撃には至らない「グレーゾーン」の事態の一例として「反戦デモ」が挙げられ、参加した記者の一人がこれを「不適切だ」と指摘したため陸幕側が回収し「暴徒化したデモ」に書き換えたのだという。行政文書の保存期間が1年と定められているにもかかわらず、元の資料は回収直後に廃棄されていた。

 

 とにかく安倍晋三政権時代、記者たちの目の前で起きた出来事にもかかわらずニュースにならなかった。共産党穀田恵二氏が3月30日の衆院外務委員会で暴露しなければ今後も闇に葬られたままだったのだろう。

 

 そして、この種の問題では重要な意味を持っているはずの詳細が明らかにされておらず、隠蔽行為がまだ続いているような印象を受ける。当時現場で何が起きていたのか。今後、細部に至るまで徹底解明される必要がある。

 

digital.asahi.com

 

▽「反戦デモ」は「敵」か?

 

 「赤旗」の報道によると、問題の資料が回収されたのは勉強会翌日(20年2月5日)だったらしい。とすれば当然、参加した記者の手元には今も資料のコピーが残っているはずだ。

 

www.jcp.or.jp

 

 どれほど日本のメディア産業の腐敗が極まったとしても、陸幕当局の証拠隠滅に加担してコピーまで廃棄したとは考えたくない。ブツが永遠に葬り去られてしまったわけでないなら、多くの国民にとって朗報ではないだろうか? メディア各社は当該資料が行政文書管理規則に反して即日廃棄されたことの追及にご執心だが、問題の核はそんなところにあるのではない。

 

 赤旗の記事には以下のようなくだりがある。

 

穀田氏は、勉強会当日の情報として、陸幕防衛課の防衛班長が「反戦デモ」と明記した理由について「14年のウクライナの状況を踏まえれば、反戦デモがどのような組織の組成になっているか分からない」と説明していたと指摘。

 

 つまり陸幕としては十分検討を重ねた上で「反戦デモ」をテロやサイバー攻撃と並記したのであって、不注意でも何でもなかった。「ケアレスミス」などの言い逃れは当初から念頭になかったとみられる。

 

 「反戦デモ」と一口に言っても、個人的な反戦の意思表示から組織化された過激な抗議活動まで広大な領域をカバーしている。これを極めて大雑把に、一括して「14年のウクライナの状況」を想定した「グレーゾーン事態」の対象とするのか。もしそうなら、これらの行動は例外なく「日本への敵対行為」に分類されるだろう。

 

 指摘を受けて陸幕は「暴徒化したデモ」に書き換えた。しかし「反戦デモ参加者」がどの段階で「暴徒」と化したとみなされるかは、勉強会資料のレベルでは明確に定義されたわけでもなかったようだ。昨年1月以来ミャンマーで起きていることを考えれば、これもまた決して軽く扱って良い話ではない。

 

 人はなぜ戦争に反対するのか。

 

 「自分や家族、友人らの生命財産を守りたい」「国土を荒らされたくない」「他国人の生命財産、他国の国土を毀損したくない」──。いくらでも挙げられようが、要するに無意味な破壊行為は被害も加害も忌避したいとの一点に尽きる。にもかかわらず軍備は厳然と存在し戦争は起こり得るから、危機を未然に防ぐことに限れば、反戦行動は完全に国民の利益と一致する。

 

 だがここで便宜的に、軍備というものを一つの人格を持った主体として「擬人化」してみよう。「彼」=軍備としては、切迫した危機が予算などの膨張の機会ともなり得る点で、反戦行動とは明確に利害が対立する。だから組織の性質上、反戦の芽を摘もうとする動機が自衛隊内にあることには何の不思議もない。しかしそれは防衛省自衛隊という組織単体での話であって、国全体としては到底容認されるはずもない。だからこそ、軍が組織・予算縮減への危機意識を持ったり、自己拡大の欲望に駆られたりして暴発することがないよう、シビリアンコントロールが軍備の前提となっている。

 

 当然ながら陸幕は、これらを十分理解した上で、14年当時のウクライナ情勢などを理由に「反戦デモ」をグレーゾーンに加えたはずである。しかしこの場合の主語は「自衛隊」なのか「日本国」なのか。反戦デモに加わる国民は例外なく「敵」となるのか。どこかから「それは国民ではない!」という声が聞こえるが、ならば他国からの侵略意図によって活動する者を、否定の余地がないレベルで特定できなければなるまい。そんなことが可能なのか?

 

 天皇の統帥下にあった旧帝国陸海軍のように防衛省自衛隊シビリアンコントロールの軛から解放され、かつ彼らの利益が国民の利益と「過不足なく完全に一致する」なら、あるいは可能かもしれない。しかしそんな状況は絶対に避けなければならないという決意が、戦後長らくこの国の社会で共有されてきたはずなのである。

 

▽「勉強会」をめぐる不可解

 

 ここで陸幕側の意図から離れ、記者勉強会とその後の流れに目を転じよう。赤旗の報道通り当該資料の回収が勉強会翌日の2月5日だったとして、以下、私なりに疑問点を列挙してみた。

 

(1)指摘がなされたのは勉強会の途中だったのか、勉強会後だったのか

(2)その指摘は、例えば幹事社のように記者クラブを代表して行われたのか、当該記者個人としてだったのか。前者であるなら、勉強会参加者全員の了解のもとに行われたのか

(3)(2)で後者だった場合、そのことは他の参加者に周知されたのか。知ったとすればそれは指摘の前か後か

(4)陸幕側は指摘を直ちに受け入れたのか。修正決定に至るまでに曲折はあったのか

(5)「反戦デモ」の当初記載を報道しないことは参加者間で申し合わせたのか

(6)(5)に関して防衛省側からメディア側に何らかの要請はあったのか

 

 そもそも、この「指摘」自体が問題ではないのか。幹事社としてであれ一クラブ員としてであれ、誤字脱字レベルならいざ知らず、行政文書のニュアンスにかかわる変更を報道機関が促したということなのだ。報じられているように「不適切だ」という強い言い方だったとすると、当局側にアドバイスを与えた点で報道機関本来の役割とは言えない。しかも、メディア側に当初提示された書き換え前の記述がまぎれもない「ニュース」であるにもかかわらず、2年以上も伏せられていたのだ。

 

 あるいはこの勉強会自体、陸幕側には「メディアとの文案すり合わせ」という意識があったのか? もしそうなら、記者クラブとはいったい何の機能を果たしているのだろう。

 

 各項目とも今後の解明を待つしかないが、(5)について一点付け加えておく。抜け駆けへの制裁措置を伴うクラブ決議として報道しない決定をすることは憲法21条違反なのであり得ないとしても、勉強会参加者が非公式に談合した可能性は考えられる。その具体的なありようは、▽部屋の隅に固まってのひそひそ話▽顔と顔を見合わせての以心伝心──などケースバイケースだろうが、私は本件では、行為としての談合自体がなかったと思う。

 

 オフレコの勉強会であったにせよ、その場で「反戦デモ」をめぐって紛糾したのであれば、参加者の間で書く書かないの議論が当然持ち上がるはずだ。当局側が「オフレコだから書くな」と要請しても、「最終判断の主体は加盟者側である」「オフレコ縛りの範疇外ではないか」などと抵抗はできる。それでも参加者全員、見事に足並みそろえて報道を見合わせ、2年以上表沙汰にならなかった。これは談合があったというより、「反戦デモ」の4文字が彼らのアンテナにかすりもしなかった可能性が高い。

 

 どちらにせよ、経過はこういうことなのだ。オフレコの勉強会というルーティンワークの惰性に、参加した記者たちは流されてしまった。それはややもすれば、疑似的に官庁業務の下請けのような性質を帯びる。察するに本件では、「一言居士」のような記者が「不適切だ」と声を上げ、当局が「恐れ入りました」と受け入れることでその場は収まったのではないか。結果として報道はなおざりにされ、無償での文書最終チェックのようなものに変質してしまった。

 

 繰り返しになるが、「反戦デモ」と「暴徒化したデモ」との間に明確な線引きができるのか。そこには透明性のカケラもない。記者クラブメディアが行政文書のチェックを事実上肩代わりしたことによって、寸鉄も帯びていない無辜の国民が「合法的に」殺傷される事態への懸念が、毛先ほどであれ高まったのは間違いないのである。