安倍政権時代と日産ゴーン事件

 間もなく平成が終わる。勤労統計不正問題でかなり怪しくなったが、2013年以降の第二次安倍政権下で、日本経済はリーマン・ショックから立ち直りの道を歩んできたと喧伝されてきた。日経平均株価は18年中に2万4千円にタッチする山が2回あり、昨年10月には約27年ぶりの高値を記録した。その後2カ月の急落で2万円を割る場面もあったが、今は2万円台をキープしている。3万8千円を超えたバブル期には遠く及ばなくとも、とにかく数字だけ見れば、7千円~1万円の間を往復していた頃とは隔世の感があると言ってもいいと思う。

 

 そして平成は今年4月末で終わり、改元が行われる。80年代末から90年代初頭にかけてのバブル期が、昭和から平成への移行期だった点では現在と相似形を成す。前述のように株価もそこそこだ。ここで、世上を騒がせた事件に着目して30年前と現在とを対比してみたいと思う。

 

 バブルの時代とそれに続く数年間、リクルート事件イトマン事件、東京佐川急便事件といった、政財界を揺るがす疑獄事件が相次いだ。いずれも起訴された政治家や財界人は有罪判決を受けている。

 かたや現在だが、「政界ルート」に及ぶような事件は「起きて」いない。森友学園による国有地取得問題は、籠池泰典元理事長夫妻が補助金不正受給容疑で逮捕されたものの政界には捜査が及んでいない。安倍晋三首相の親友が理事長を務める加計学園獣医学部設置認可に関わる疑惑は今のところ立件もされていない。

 

 そんな中、「眠れる獅子」に見えた東京地検特捜部が昨年11月、日産のカルロス・ゴーン会長逮捕に踏み切ったのは世間を驚かせた。99年、2兆円の有利子負債を抱えて危機にあった日産自動車に乗り込み、「コストカッター」の異名を取る剛腕を振るって立て直したゴーン氏は、自らの報酬を少なく見せかけたという金融商品取引法違反(有価証券報告書虚偽記載)の容疑に問われた。さらにその後、私的なデリバティブ取引に絡む損失を日産に付け替えた会社法違反(特別背任)も加わり、1月末までにこれらによって起訴され現在も収監中だ。

 

 第一報がゴーン氏逮捕で始まったいわゆるこの事件の報道は、端緒から一貫して特捜部と日産のリークで支えられてきた。この点は、調査報道によって火がつけられ、報道が捜査当局を動かした形のリクルート事件イトマン事件とは大きく異なる。

 

 もちろん、リーク情報をキャッチするのもメディアの重要な仕事だ。取材源との信頼関係なくしてリーク情報は得られないし、怠けていれば取材競争に後れを取る。つまり、リーク報道に注力していること自体がメディアの勤怠を問う尺度になるわけではない。ただ、「集めた情報をどう解釈し、どう報じるか」というところまで仕事が続いているのも確かであることからすると、客観的に見てゴーン事件はリーク報道の比重が相対的に高いのは間違いないだろう。

 調査報道が先行したリクルートイトマンといったケースでも、事件が表沙汰になった後はメディア各社が特捜部の動きを追う形となった。検察がメディアに情報を流す度合いはさまざまだろうが、事件の進行中はいわゆる「書き得」として、当局周辺などから聞き込んだ話をあることないこと各面のトップに立てて話を繋いでいく。今回のゴーン事件でも起訴事実とは別に、CEOリザーブから中東販売代理店への50億円に上る送金やゴーン氏側への還流といった周辺情報が報じられてきた。これらが新たな容疑となるかどうかは別として、1月末現在は一つのピークを過ぎて一服しているようだ。

 

 とにかく、報道が検察を引きずったような格好のリクルート事件などと違い、ゴーン事件では検察当局が司法取引に応じた日産との緊密な連携による情報リークで報道をコントロールしている。これが意味するところは、報道や世論の介入を許さない、検察による事件の「一元管理」であるように私には思える。検察が「ここまで」と判断すればそこで終了が決め打ちされ、さらなる「芋づる式」の拡大など期待すべくもない。結果としてこれは、当局の恣意によって事件の形が決められ、終止符が打たれる可能性につながるのではないか。

 

 改めて考えてみる。なぜゴーン氏は逮捕されたのか。

 

 「検察が公判を維持できると判断するに足る証拠を揃え、立件に踏み切ったのだろう」と私たちは解釈する。しかし最初の起訴事実である有報不実記載については、逮捕から5日後、退任後の報酬として支払われるという話が報じられた。

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 ここで一気に、「退任後に支払われる確証もないものを有報に記載する義務があるのか?」という疑義が有識者の間で語られ始め、私なぞは「特捜部は退任後報酬とは知らずに、単純な不実記載と思い込んで逮捕しちゃったんじゃないの?」などと埒もない疑念を抱いたりした。実際その後金商法違反の話は下火になり、事件の重点は、リーマン・ショック時に生じた私的投資契約の評価損付け替えなどに対する特別背任罪の方に移ったように見える。しかしこちらの方も、本来であれば公訴時効が成立しているはずなのに、海外渡航期間を時効停止に算入できるという判例を根拠に立件したようなところがある。この海外渡航期間を時効停止要件として一律適用することの是非についても、やはり専門家の間では議論が分かれている(青沼隆郎氏「検察の冒険『日産ゴーン事件』(22)」等参照)。

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 以上のように、検察は立件のための諸条件が生煮えのまま「スケジュールありき」でゴーン氏逮捕に踏み切った印象は拭えない。それほどまでに急がなければならなかった理由がルノーと日産の経営統合への危惧だったのか、それとも何か別の事情だったのかは分からないが、往々にしてそれを隠蔽しようとする最も強いインセンティブが働く部分こそが「事件の本筋」だったりする。……もちろんこれは、外野の人間から見た印象に過ぎないのだが。

 

 第二次安倍政権ほど、世上に「官製」部分が広がった時代はないように思う。株高も黒田日銀の「異次元緩和」に支えられる官製相場なら、本来は労使の対決の場であるべき賃金交渉も政権の介入によって官製化し、メディアの報道も政権によるお仕着せの内容ばかりが目立つようになった。これらは、いかに幻想であったとはいえ、土地や株の値上がりが永遠に続くかのような熱狂に牽引されたバブル時代とは決定的に異質だ。

 ゴーン事件もまた、官製の「ザ・国策捜査」として進められているようだ。事件が予定を踏み外すことなくゴーン氏有罪のような格好で決着すれば、検察にとっては喜ばしい結果だろう。しかし仮に、国策によって隠蔽された部分が存在し、それが隠蔽されたままだったらどうなるか。

 

 遅かれ早かれ、その「隠された部分」は災厄となって国民に降りかかるのではないだろうか。